ABEイニシアティブ説明会とネットワーキング/神戸・福岡

JICAが運営するABEイニシアティブは昨年9月に第4バッチ生が来日し、その後今年3月に東京であるアフリカビジネスネットワーキングフェアに向けて、全国主要都市でABEイニシアティブの説明会とその周辺地域の大学に在学する研修生とのネットワーキングが開催されています。

弊社のABEイニシアティブ歴をお伝えすると、2016年6月に企業登録をし、まずは近隣の広島大学に在学する研修生(第2バッチ生)からコンタクトし交流を始めました。本格的な活動は第3バッチ生からとなり、昨年1年間を通じてABEイニシアティブの活動に参加してみました。それなりの成果が得られていると感じていることから、第4バッチ生に対しても積極的に活動をしています。

昨年11月20日、神戸のアフリカビジネス研究会および企業ブース出展とネットワーキングを皮切りに、昨日(1月18日)は福岡のABEイニシアティブ説明会とネットワーキングに参加してきました。

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神戸でのブース出展
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福岡にて佐賀大学で農学を学ぶガーナ(左)とモザンビーク(右)の研修生と

 

地方都市広島を拠点に活動する弊社としては、時間と費用の点から西日本でのイベント開催は大変ありがたく、来年第5バッチ生の時はぜひ広島でも開催していただきたいと願っているところであります。

アフリカ諸国と日本およびアジアのビジネスの橋渡役を担うのが弊社のサービスなので、将来、現地パートナーになってくれる可能性のある研修生とのネットワーク作りは非常に重要だと考えています。このようなイベントはネットワーク作りのきっかけを与えてくれますが、その後の継続的なコミュニケーションと情報交換は信頼構築のために欠かせません。濃いコミュニケーションは対面でないと中々できないので、私の場合は普段緩くつながっておくのにSNSツールとしてFacebookとWhatsAAPを活用し、TPOに合わせてE-mailやSNSを使い分けています。

最後に、国際ビジネスを別の言葉で、Cross-Cultural Business(異文化ビジネス)ともいいます。お互いが通じ合うためにはまず言葉の壁を乗り越える必要がありますが、お互いの文化の違いを理解し、尊重する姿勢は必要かと思います。つまり、研修生は日本での生活を経験することで日本の文化を知りますが、我々日本人も研修生の国の文化を知ろうとする姿勢が大事ということです。文化交流は国際ビジネスの潤滑油です。

ということで、福岡での最後の締めはガーナの研修生からのお土産で終わりました。これも文化交流ですね(笑)

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ダワダワというガーナ北部地方の発酵調味料です。独特のにおいと糞のような見かけに躊躇!巷ではスープのだしにはMAGGIがよく使われていますが、MAGGIの代わりにダワダワを使うよう教えてくれました。

 

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100%ナチュラル、無添加のピーナッツバター。これは超嬉しかったです!パンにつけたり、ガーナの国民食、グランナッツスープに使います。
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アフリカ・ビジネス・ネットワーキング・フェアへ出展

3月24日にJICAが主催するアフリカ・ビジネス・ネットワーキング・フェアに出展しました。

日本政府の官民一体となってアフリカにおける強固で持続可能な経済成長を支援する政策、「ABEイニシアティブ」の活動の一環であり、ABEイニシアティブ登録企業と第3バッチABEイニシアティブの学生のネットワーク構築の足がかりを作る場として提供されました。弊社は昨年6月より企業登録をし、少しずつABEイニシアティブの学生との交流を持ち始めていましたが、今回のネットワーキング・フェアに出展することで、より多くの学生たちと交流を持つことができました。

今回、弊社にとってネットワーキング・フェアへの参加は初めてでしたが、昨年より交流させていただいていた環境事業や有機農業の促進を手掛ける日本ゼウス工業㈱様をお誘いし、共同でブースを出展させていただきました。

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10時~16時30分まで、ありがたいことに、行列ができるほどに学生さんたちがブースを訪れてくださいました。言語はすべて英語です。できるだけ多くの学生さんたちと交流するために、短時間で要旨が伝わるプレゼンテーションを準備していましたが、それは何とか事なきを得、ネットワーキング・フェアは無事終了しました。ネットワーキング・フェアの成果は、その後のインターンシップ・プログラムにつながっていきます。

フェア後のフォローアップとして、弊社へインターンシップの希望を頂いたり、弊社からもインターンシップのオファーをしたりと、夏のインターンシップへ向けた取り組みが始まりました。その多くはフェアのブースで交流した学生さんたちが中心でしたが、ブースを訪れたにもかかわらず面談席が一杯だったためにフェアで交流できなかった学生さんともつながることができ、とても良いネットワーキングに展開していきました。

進展した日本とガーナの関係

年初の投稿から1年近くご無沙汰です。今年もあと2日あまり。前回の投稿を読み返して、この1年のガーナおよびガーナと日本の関わりについて振り返ってみました。

平和的な選挙、政権移行

ガーナ人の最大の関心毎は「平和」だと書きましたが、この1年はその言葉を検証するにはとても参考になる年だったと思います。その最たる事が、12月7日に行われた大統領選挙と共和国議員選挙です。今年に入って選挙が終わるまでの間、ず~っと選挙のキャンペーンで、政治的には、いつも以上に過熱した状態が続いた1年でした。その過熱ぶりが、少なからず、自分が携わっている案件のプロセスの遅延に影響を及ぼしていたことから、選挙戦の成り行きは常に関心の的になっていました。国の代表者を直接選挙で選ぶ習慣のない日本人には理解し難いこともありはしたけども、選挙そのものはとても平和的に行われました。

結果はNDC(国民民主会議)の候補現職マハマ大統領がNPP(新愛国党)の候補アクフォ・アッド氏に負けて、議会のカラーも大差でNDCからNPPに変わりました。来年1月7日に政権はNDC政府からNPP政府へと移行します。ガーナの大統領選挙は毎回、アメリカ大統領選挙の1ヵ月後に行われます。ガーナの政党をアメリカで例えると、NDCが民主党で、NPPが共和党といった感じです。アメリカは共和党トランプ氏が勝ち、ガーナもNPPアクフォ・アッド氏が勝ち、両国とも保守政党の勝利となりました。個人的には親日のマハマ大統領を身近に感じていたので再選して欲しかったので、負けたことは残念でした。しかし、それはガーナ国民の選択です。

親日家、マハマ大統領が日本との関係で果たした役割

マハマ氏が大統領を務めたことによって、日本とガーナの関係は随分近づきました。若い時にガーナの日本大使館で働いた経験によって、日本に対する理解を深める機会に恵まれたことは2013年に大統領に就任したことによって開花することになりました。2013年横浜で開かれたTICADⅤ(第5回アフリカ開発会議)がその大きなきっかけとなっています。私とガーナの関係がより深くなって行き始めたのも2013年春で、ガーナにおけるビジネスではすでにビジネス・パートナーとして属人的つながりは得ていたものの、TICADⅤは私にとっても「アフリカに行け!」という気持ちを強く後押しするものになりました。ビジネスの成功には自分のアイデアや技術も大事ですが、それを時代が後押ししているかどうか、非常に重要であると考えます。

発展途上国の開発を進めて行くためには、外国からの支援(投資・融資・技術供与など)が不可欠で、マハマ大統領は積極的に外交し、海外から多くの開発資金を調達することには成功しています。日本との間ではインフラ整備で、選挙前の12月5日に112億3,900万円を限度とする円借款「東部回廊ボルタ川橋梁建設計画」に関する書簡を交換。ガーナ最大のテマ港とブルキナファソ国境を南北に結び、国際物流・交易の促進を目指します。これは今年の5月マハマ大統領の訪日での要請によって実現したものです。

また、TICADⅤを機に2014年から日本・ガーナ間で「投資協定」の交渉が始まり、交渉を重ね進展を見せています。今年8月27日、ケニアで開かれたTICADⅥの際に両国の首脳会談が持たれ、投資協定の早期妥結への見解を確認し合っています。二国間のビジネス環境が整備されることで、日本・ガーナ間のビジネスはよりしやすくなり、促進します。

マハマ大統領が達成したことを色々と述べたい気持ちではありますが、今回は日本との関わりだけで留めておきます。

さて、2017年1月7日から国のトップが変わることで、今後、日・ガーナ間にどんな変化が起こるでしょうか?

どこの国も自国の力だけでは成長できない(前編)

アイプランニングの佐々木愛です。

きょうは広島の「原爆の日」です。今年で70周年を迎えます。広島県人の私は8月に入ると自然と「原爆の日」に意識が向きます。いつだったか忘れましたが、原爆で焼け野原と化した広島が、その後どのように復興を成し遂げ今に至っているのかを描いたマンガ本を読んだことがありました。その中で特に心に留まったのが、“100年先を見据えた都市計画”というものでした。

100年先というと少なくとも計画を策定した人たち、その子どもたちは亡くなっていて、孫、曾孫の時代です。なので100年の中には成長ステージがあります。特にひとり立ちできるまではいろんな人の助けを借りなければいけません。海外からも援助も受けました。それまで今ある広島の姿を当たり前のように思っていましたが、そのマンガを読んで以来、広島に対する見方が変わってきて、広島
が戦後の街づくりで得た経験や技術をもっと必要とする海外諸国のために活かすべきではないか
と思うようになってきました。また私ももっと将来の世代のために残せることを築こうと思うようになりました。

実は2013年8月ガーナのケープコーストの世界遺産を見に行ったときに、同じことを改めて感じたことがありました。その時の様子を別のブログで綴っています。

私はたまたま広島県で生まれ育ちガーナと出会ったので、広島とガーナを対比して言いましたが、広く言えば日本とアフリカ。成熟国である日本がアフリカへ出ていくべき理由は、経済の面においては国内だけでは長期的には充分稼げない、アフリカの持つ経済成長の伸び白も言えますが、もう一つ、技術供与という成熟国家であることの責任を果たす必要性からです。