進展した日本とガーナの関係

年初の投稿から1年近くご無沙汰です。今年もあと2日あまり。前回の投稿を読み返して、この1年のガーナおよびガーナと日本の関わりについて振り返ってみました。

平和的な選挙、政権移行

ガーナ人の最大の関心毎は「平和」だと書きましたが、この1年はその言葉を検証するにはとても参考になる年だったと思います。その最たる事が、12月7日に行われた大統領選挙と共和国議員選挙です。今年に入って選挙が終わるまでの間、ず~っと選挙のキャンペーンで、政治的には、いつも以上に過熱した状態が続いた1年でした。その過熱ぶりが、少なからず、自分が携わっている案件のプロセスの遅延に影響を及ぼしていたことから、選挙戦の成り行きは常に関心の的になっていました。国の代表者を直接選挙で選ぶ習慣のない日本人には理解し難いこともありはしたけども、選挙そのものはとても平和的に行われました。

結果はNDC(国民民主会議)の候補現職マハマ大統領がNPP(新愛国党)の候補アクフォ・アッド氏に負けて、議会のカラーも大差でNDCからNPPに変わりました。来年1月7日に政権はNDC政府からNPP政府へと移行します。ガーナの大統領選挙は毎回、アメリカ大統領選挙の1ヵ月後に行われます。ガーナの政党をアメリカで例えると、NDCが民主党で、NPPが共和党といった感じです。アメリカは共和党トランプ氏が勝ち、ガーナもNPPアクフォ・アッド氏が勝ち、両国とも保守政党の勝利となりました。個人的には親日のマハマ大統領を身近に感じていたので再選して欲しかったので、負けたことは残念でした。しかし、それはガーナ国民の選択です。

親日家、マハマ大統領が日本との関係で果たした役割

マハマ氏が大統領を務めたことによって、日本とガーナの関係は随分近づきました。若い時にガーナの日本大使館で働いた経験によって、日本に対する理解を深める機会に恵まれたことは2013年に大統領に就任したことによって開花することになりました。2013年横浜で開かれたTICADⅤ(第5回アフリカ開発会議)がその大きなきっかけとなっています。私とガーナの関係がより深くなって行き始めたのも2013年春で、ガーナにおけるビジネスではすでにビジネス・パートナーとして属人的つながりは得ていたものの、TICADⅤは私にとっても「アフリカに行け!」という気持ちを強く後押しするものになりました。ビジネスの成功には自分のアイデアや技術も大事ですが、それを時代が後押ししているかどうか、非常に重要であると考えます。

発展途上国の開発を進めて行くためには、外国からの支援(投資・融資・技術供与など)が不可欠で、マハマ大統領は積極的に外交し、海外から多くの開発資金を調達することには成功しています。日本との間ではインフラ整備で、選挙前の12月5日に112億3,900万円を限度とする円借款「東部回廊ボルタ川橋梁建設計画」に関する書簡を交換。ガーナ最大のテマ港とブルキナファソ国境を南北に結び、国際物流・交易の促進を目指します。これは今年の5月マハマ大統領の訪日での要請によって実現したものです。

また、TICADⅤを機に2014年から日本・ガーナ間で「投資協定」の交渉が始まり、交渉を重ね進展を見せています。今年8月27日、ケニアで開かれたTICADⅥの際に両国の首脳会談が持たれ、投資協定の早期妥結への見解を確認し合っています。二国間のビジネス環境が整備されることで、日本・ガーナ間のビジネスはよりしやすくなり、促進します。

マハマ大統領が達成したことを色々と述べたい気持ちではありますが、今回は日本との関わりだけで留めておきます。

さて、2017年1月7日から国のトップが変わることで、今後、日・ガーナ間にどんな変化が起こるでしょうか?

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中